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ウクライナから避難してきた卒業生が自身の体験を語る

国際学部卒業生 敬愛大学職員 オルガさん

2022/04/20

敬愛大学ではウクライナからの避難民で国際学部卒業生のオルガさんが働いています。オルガさんは学生の皆さんへのサポートを担いつつ、授業支援員として活躍中です。ウクライナで日本語教師として働いていたため流暢に日本語を話すことができます。4月20日、国際学部のゼミで、戦火の続くウクライナ情勢やウクライナの文化、日本へ逃れてきた体験を語りました。

 

人道支援を目的としたウクライナ避難民(本学卒業生)の雇用受入について

ウクライナの文化を学ぶ

ウクライナは1991年に独立しました。それまではソビエト連邦の構成国であったため、日本ではウクライナ文化がロシア文化と混同されがちです。例えば、日本でも有名な赤いスープであるボルシチはウクライナ料理です。ピロシキもウクライナではオーブンで焼いて作られます。バンドゥーラという固有の弦楽器があり、学生とともにYouTubeで音色を聞きました。ロシアとの最大の違いはウクライナは自由を大切にする国であることです。「独裁主義のロシアとは相容れず、自由と独立のために戦っています」とオルガさんは語りました。

ウクライナの伝統料理「ボルシチ」。赤色はビーツの色で辛くはありません。

ウクライナの現状と自らが体験した戦争

日本にいると今回の侵攻はどこか遠い国で起っていることのように感じてしまうかもしれません。オルガさんは現地人ならではの検索ワードで戦争の様子を学生に見せてくれました。煙が燻り一面瓦礫だらけの写真の場所にはもともと洗練された街並みがあったといいます。ブチャという地域ではオルガさんの友人も住んでいました。幸い友人の方は逃げられたようですが、犠牲者は多く、埋葬するための深く大きな穴が掘られている報道写真を皆で見ました。

ウクライナでは18歳から60歳までの男性の出国が禁止されているため、その男性の家庭の子供や女性、高齢者などがまだ多く現地に残っているといいます。「ウクライナでこのようなことが実際に起こっているのだということを現実感をもって知ってほしい」と学生へ訴えました。

 

戦争が起きた日のことも話してくれました。オルガさん自身もまさか21世紀のヨーロッパで「全面侵攻」が起こるなどとは直前まで思いもよらなかったといいます。逃げ込んだ集合住宅の地下には物資どころか寝床もありません。ダンボールの上にマットを敷いて、見ず知らずの方とともに休息をとりました。空爆の隙をみて食糧を買いにいったものの、お店にはすでに大行列ができていて、パンは売り切れ。小麦は手に入りましたが、パンづくりのためのドライイーストはどこにもありません。

ウクライナの西部国境からポーランドへ逃れようとしましたが、安全と思われた西側でも空爆を知らせる警報が鳴り響き、避難していた方の中には国外脱出を諦めて戻った方もいたようです。その後、オルガさんはなんとかポーランドにたどり着き、敬愛大学国際学部の同期生を頼りに来日することになります。詳細については現在、発表資料を作成中とのことです。学生の皆さんにはいずれお伝えできる機会があるでしょう。

 

今後、オルガさんは学内のボランティアサークルが企画したチャリティーバザーや募金活動などに協力し、ウクライナ避難民への支援を行っていく予定です。現在、学生の皆さんの協力を募集中です。ぜひ2号館1階の事務局で声をかけてください。

急遽防空壕代わりになった地下室の様子

オルガさんが日本語で綴る日記を「敬愛人」で連載決定!

庄司先生のゼミに参加し、ウクライナの情勢や伝統的な文化、習慣、地理などについて発表しました。学生の皆さんと共に、ウクライナの現状や平和の大切さについて改めて考えることができました。学生のなかにはウクライナへの共感を表すため、ウクライナの国旗と同じ色の洋服を着たり、青と黄色のリボンなど身につけたりしている方がおり、とても感激しました。

ウクライナへの侵攻が始まって56日目になりました。攻撃によって多くの市民が犠牲になっています。一刻も早い停戦を望んでいます。ウクライナの難民のため、私に何ができるか考えています。学生の皆さんにチャリティーバザーや募金活動、ウクライナ料理フェアなど様々なイベントを一緒に立ち上げてウクライナからの避難民を支援しようと提案しました。

オルガさん
オルガさん