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国際学部:条約締結の歴史を現地で体感――国際法を学ぶ庄司ゼミの学びの旅

国際学部 教授 庄司 真理子

2026/02/06

2026年2月4日、庄司ゼミの3年生は、日本の開国の舞台を自らの目で確かめるため、現地を訪れました。教科書では、ペリーが黒船4隻を率いて浦賀に来航し、日本に開国を迫ったとされています。1853年のこの来航は、翌年の日米和親条約の締結へと発展し、日本が国際法と向き合い始めた出発点となりました。国際学部で国際法を学ぶ学生たちは、その地に立つことを目的にゼミ旅行へ向かいました。

ペリー来航の地は浦賀ではなく久里浜だった!

当初の目的地は浦賀でした。しかし地図を確認すると、ペリー記念館は浦賀ではなく久里浜にありました。学生たちは「なぜ浦賀ではないのだろう」と疑問を抱きつつ、当時の資料が残されているペリー記念館へ直行しました。館内で職員の方から丁寧な説明を受け、1853年にペリーが実際に上陸した地点は久里浜であったことが分かりました。

 

当時の浦賀港は、黒船のような大型艦船が停泊できるほど整備されていなかったそうです。むしろ港湾として開発されていない漁村・久里浜のほうが、大型艦船が停泊するのに適していたといいます。学生たちはペリー上陸の地に立ち、日本の文明開化の始まりを想像しながら、歴史の転換点を肌で感じ取りました。現地に足を運ぶことで初めて理解できる事実や、教科書だけでは得られない感覚を体験的に学ぶ機会となりました。

横須賀で「黒船の衝撃」を追体験

「泰平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん:蒸気船)、たった四杯で夜も眠れず」という有名な狂歌があるように、当時の日本人にとって、黒船のような大きな軍艦の来航は、相当の威圧感を伴う出来事だったに違いありません。その感覚を少しでも追体験するため、学生たちは横須賀の軍港クルーズにも乗船しました。横須賀には米軍基地があり、それと対峙するように日本の自衛隊基地もあります。軍港には、船体が灰色一色で塗られたものものしい巨大な艦船、大きなくじらのような潜水艦、さらに飛行機も発着陸できる航空母艦など、現代の私たちでも威圧感を感じる船が並んでいました。船上では学生たちが「国際法で勉強した無害通航権でいうと……」と授業内容を思い出しながら、知識と目の前の光景を重ね合わせてクルーズを楽しんでいました。

教科書に「浦賀来航」と書かれる理由

ここで一つ、みなさんも考えてみましょう。なぜ教科書には「ペリーが浦賀に来航した」と書かれているのでしょうか。

 

江戸時代、浦賀には外国船の出入りを監視する関所の役割をもつ奉行所が置かれていました。そのため、ペリー来航への対応にあたったのが浦賀奉行所であったことが、理由の一つと考えられます。日本人にとって外国の近代的な軍艦の来航はまさに初めての出来事でした。江戸への直接的な脅威を避けるためにも、できるだけ人里から離れた場所から上陸してもらうよう配慮した可能性があります。

 

久里浜は現在では豊かな街並みが広がっていますが、当時は閑散とした小さな漁村でした。そのような場所であれば、万が一の事態が起こった場合でも被害を最小限に抑えられると考えたのでしょう。このように、当時の日本の人々は慎重に状況を見極めながら対応していたことがうかがえます。

 

久里浜は敬愛大学から総武本線快速で一本で行ける場所です。ぜひみなさんも現地を訪れてみてください。実際に足を運ぶことでしか得られない発見がきっとあるはずです。

  • 学生のリクエストで海軍カレーを食べに

  • 軍港クルーズを楽しむ学生たち

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