滑稽噺(こっけいばなし)です。生きてる俺が死んでる俺に話しかける?非現実的な話が目の前で生き生きと語られるととても不思議な感じがします。「そんなことありえない」という笑いが生じます。

粗忽長屋
4月19日に敬愛大学朗読研究会が落語のワークショップを開催しました。講師は三龍亭千公、三龍亭夢学の両先生。お二人は故三遊亭圓窓の社会人弟子でした。この日の寄席は講義と演習、鑑賞の3本立てでした。
夢学先生が蕎麦を食べる動作を学生も真似してみました。箸を持つ手の動き、蕎麦をすする時の口、そして音(海外ではマナー違反とされますが)。「リアリティを求めるけど、リアルじゃない」と説明がありました。近松門左衛門の虚実皮膜(きょじつひにく)論を思い出させます。
滑稽噺(こっけいばなし)です。生きてる俺が死んでる俺に話しかける?非現実的な話が目の前で生き生きと語られるととても不思議な感じがします。「そんなことありえない」という笑いが生じます。
粗忽長屋
落語家は演じる人物によって右を向いて話したり、左を向いて話したりして、今誰が話しているのかを表現をします。この動作を「上下(かみしも)を切る」といいます。演習では実際にテキストを持って上下を切る音読稽古や、演読稽古などに挑戦しました。
「さあさ、こっちへお上がり」と学生も実践
廓噺(くるわばなし)です。各場面が花魁(おいらん)と客の対話、花魁と店員の対話、そして客と店員との対話で進行していきます。話相手によって変わる花魁の態度、話しぶり、そして悪知恵。現代にも通じるような悪女ぶりに観客は引き込まれます。
千公さんは落語を教材として出前授業をしたり、地元で寄席を開催して子どもが落語を演じる機会を設けたりしています。そのような教育の機会を通して子どもが成長することを教えてくれました。また、夢学さんは大学院でアドラー心理学などを学び、落語と教育というテーマで実践研究を積み重ねています。今回は情緒学級の子どもが喜んで活動する様子を話してくださいました。落語のもつ力を借りて教育ができるそうです。
落語のワークショップを通して、学生はどんなことを学んだのでしょうか。感想の一部を紹介します。
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